地下足袋山中考

<はじめに>

地下足袋(じかたび)という言葉自体死語に近くなったが、まだまだ、繊細な職人仕事には欠かせない存在だ。私が物心ついた時は農作業、山仕事、山菜とりに至るまで身近な履物として傍にあった。長年、営林署の貯木場務めだった亡き父の定番の履物はスパイク付の地下足袋だった。足袋型のゴム底に厚手の布仕立て、決して見栄えのしない地下足袋も足首の爪を絞め上げると足下の軽やかさは一変した。スパイク付は沢歩きや急登のゼンマイ採りに抜群の威力を発揮した。最近の山歩きは、機能満点のトレッキングシューズ全盛時代だが、その分、地べたの感触は失われた。その履き心地をまだ足下に残している者としては、愛着よりも懐かしさに潤むものがある。
 ライフワークとして森吉山に慣れ親しんできた。その愛着が覚醒され、自然保護や観光行政に首を突っ込む羽目になった。1986(S61)年、32歳の時に森吉山のスキー場開発絡みで「森吉山山頂部をスキー場開発から守る会」結成した。山頂部スキー場開発を一時中断した後は、会の名称を「森吉山の自然を守る会」に変更し、山麓の天然林の保護や登山道等の整備を求める運動を進めてきた。その後、「森吉自然の会」、「ネイチャーワールド21」、「森吉山を美しくする会」、「森吉山を愛する会」、「山の案内人の会」の設立や運営に参画し、森吉山の素晴らしさを県内外に紹介する活動を続けてきた。スキー場開発や森林施業に異を唱えれば反体制派とみなされ、自然(死膳)で飯が食えるか、と揶揄された20世紀が終焉し、21世紀は環境の世紀になった。
 25年が経過した今年、これまでの活動を集約し、森吉山自然公園事業の推進を図るため、「NPO法人森吉山ネイチャー協会」を組織し、これまでの活動を一元化した。
 この間、森吉山の歴史的な変遷に触れ、県内外の識者や多くの友人らと共に、自然保護や観光行政を間近に眺めてきた。それは、昭和初期の小又峡の天然記念物指定とダム開発問題に始まり、昭和49年から開始したノロ川牧場開発とクマゲラの発見に関わるブナ林の保護運動と国の天然記念物指定の攻防が自然保護のベースにあった。
 国指定森吉山鳥獣保護区の指定とその後の特別保護地区の拡大。国有林を巡る全国的な保護運動の高まりの中で始まった森吉山山頂部スキー場開発問題。自然保護課の存在が問われた桃洞渓谷の自然破壊問題。森吉山麓の天然林の保護と国定公園格上げ運動。国の保護林制度の見直し。リゾート法の制定と見直し。森吉山スキー場の運営主体の撤退と売却。それは、森吉山阿仁スキー場の無償譲渡受入につながる25年間に及んだ自然保護と観光行政の縮図であり、地域振興をテーマにした応用問題であった。
 久々に地下足袋を履いてみた。山中を巡る足下から脳裡に伝わる振動は雑感を呼び起こし実に心地がいい。還暦を前に、関わってきた森吉山麓の変遷と素描をまとめてみることにした。何のことはない。山中を巡りながら浮かんだおっさんのボヤキである。読捨てくださればありがたい。